学ぶを変える

僕たち治療家は一生学ぶ事が重要である。

治療家の哲学・科学・芸術を意識しながら生涯学ぶ。

しかし、この学ぶという言葉で勘違いをしてはいけないのだ、言い方を変えると学ぶだけでは足りないのである。

何が足りないのか?

それは研究が足りないのである。

治療家の学びとは研究の事を言うのが正しいのである。

学ぶと言うのは書籍で学んだりセミナーで学んだり、講師から学ぶ。その学びの答えは書籍の中やセミナー・講師の答えであり治療家としての自分の答えではない。だから学ぶというステージには重要な答えはない!

つまり学ぶとは基本や基礎、当たり前の事、社会常識と言われるものを知り身につけることを学ぶというのである。

学校の勉強が面白くないのはその為だ。先生と呼ばれる人の中にある答えを押しつけられるのが学校の勉強なのであるから仕方がない。物事の基本や基礎・社会常識などの集団で生きる、健全な社会生活を送る為に必要であろう事を知る場所だから仕方がないのだ。

そこで基本的な学力や読み書き計算のちゃんとした答えのあるものを一緒に教わる。

そう考えると治療家に必要なことは研究なのである。

研究という言葉を使うとたいそう難しい事をする必要があるような感じがしてしまうが、研究とは自分の答えを見つけるというだけなのである。

目の前にある現実や現象、クライアントの症状をみてどのような解釈をしてどんな答えを導き出すのか。そのための過程を研究というのである。

学ぶという思考から研究するという思考にならないといつまで経ってもセミナーや情報に頭の中を支配されてしまい詐取されるだけの治療家になってしまう。

現実や現象・症状をみて、あなたはどんな解釈をしますか?

問題解決のためにどのような方法をとりますか?

答えはあなたの身体の中にあるのです!

治療という視点から見た時、クライアントと同じ数、同じくらいの大きさ、同じ働きのものが治療家の身体の中にもあるんです。

それが同じように働いているはずなのにクライアントの身体では不調を起こし、あなたの身体では不調を起こしてない、となればその答えは必ずあなた(治療家)の身体の中にあるのです。

さあ、身体の不調や痛みを訴えるクライアントを前にどのような考え方をして、どんな解釈をして、どんな答えを出すのか?

それが治療家の仕事です。

セミナーで聞いた。。書籍で読んだ。。他人の答えを真似する事が治療ではないのだ。

学び続ける事が必要な治療家ですが、学ぶのではなく研究するのだ。

Researcherであれ!なのである。