キャッチャー革命

先日、野村監督が亡くなったというニュースでまた一つの時代の先駆者が亡くなったことに寂しさを覚えた。

野村監督と聞くとボヤキとかID野球とか、三冠王のお話も出てくるかな、僕にとってはキャッチャーというポジションに革命を起こした人なのだ。

ピッチャーというお山の大将の球を受けるだけのポジションから、全てはキャッチャーの頭の中から始まって一球一球に全て意味がありバカでは野球ができないと考える野球を言い続けキャッチャーというポジションに革命を起こした人だと僕は思っている。

ベースボールと野球の違いの大きなところにこのキャッチャーというポジションの役割があると思っている。

その前に、プロ野球のキャッチャーの視点というのはとてもミクロな視点を持っているかと思うとマクロに俯瞰するところのバランスが基本とは全く違う。

僕も高校球児だった時に指導を受けた元プロ野球選手の視点に衝撃を受けたし、その衝撃が今の仕事にとても役に立っている。

高校生の時に一番衝撃を受けたのは、キャッチャーはピッチャーを見ていないということだった(笑)

365日毎日ブルペンでピッチャーの球を受けていて、自分で球種もコースも決めてサインを出してるのに、まだピッチャーを見てないといられないくらいお前は下手くそなのか?そんなにピッチャーの事を信用してないのか?

ゲーム全体をぼんやり見てないと、相手のチームが仕掛けてくる変化に気がつかないし、自分のチームのほころびに気がつかないぞ!

当たり前のゲームの風景と違うところ、気になったところ、そこを起点に相手は何かを仕掛けてくる、それをいち早く見つけるのもキャッチャーの仕事であり、そこからベストな一球を選択してコースを決めてピッチャーに投げさせる、そうやってゲームを作っていくのだぞ!

このぼんやりと全体を見て、当たり前と違うところを見つけるというのは今の整体の仕事の視診など検査だけでなく多くの物事の見方にもなっているし、僕にとっては革命であった。

また盗塁阻止の為のセカンド送球やキャッチャーからの牽制球に対してはとてもミクロな視点で言われることもあった。

何より、キャッチャーがどんなに考えてベストな選択をして最高のパフォーマンスをしたからと言ってゲームに勝つことはない、だから負けない為の選択をし続けなければならないのだ、野球をしている時には負けない事を考え続けることにストレスを感じたこともあったが、今となっては勝つ事を考えるよりも負けない事を考えることの方が数倍難しいことに気がついてとても役に立っている。

唯一、顔が見えないポジションのキャッチャーという仕事に焦点を当てて、革命を起こし結果を残し続けてきた野村監督の偉大さはやっぱりすごい。

整体師・セラピスト・治療家という仕事はとてもキャッチャー的な仕事だと僕は思っている、僕もこの整体師・セラピスト・治療家という仕事の革命を起こしたいと考えている。

大きな事をするのではなく、ボヤキながら。。。

そして野村監督も言っていた、

『うまくいっているときは、周りに人がたくさん集まる。

だが、一番大切なのは、どん底のとき、誰がそばにいてくれたかや。』

そんな事を想いながら、

財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする。

そんな人間になりたい。